MIAA チャーターメンバー 渡航議事録 .
日 時 : 平成27年5月8日
渡航先 : ネパール
渡航者 :佐藤 知樹        
ネパールの首都・カトマンズ。  
その名前の由来にもなったカスタ・マンダップが、瓦礫の山と化していた。  
人々のすすり泣く声が、ただただこの震災の精神的な重みを感じる。

 5月8日の朝、バンコクよりタイ国際航空便にてカトマンズへ。機内はほぼ満員。日本人も多くいたが、私の他は殆どJICAをはじめとする国際人道支援組織の方々。以前のような旅行者は皆無である。
 空港へ到着すると、TV報道でも知らされていた通り、滑走路や空港内に支援物資とみられる荷物の山。支援者のもとに即時届けることが出来ていない状況が見て取れた。飛行機を降りてすぐに感じたのは異様な臭気。現地の方々もみなマスクを着用している。かねてよりネパール支援のパートナーであるライオンズクラブ・カトマンズ・スクンダの、ウッタムご夫妻に出迎えいただき、一路、氏が経営するホテルへ。現状を確認しつつ、各所の視察を始めた。
 カトマンズの市街地は、地震により崩壊した建物と、傷ひとつない建物とが混在。百年あるいは数百年に一度とも言われる大地震であって、それを伝えていくことの難しさを痛感する。その過酷な状況の中、人々は至って楽観的。事の重大さ、復旧復興までにかかるであろう膨大な年月にさえ気づかずに、ただ目の前の瓦礫を道路へはじき出し、ただの一人も観光客がいない中で商売を再開している人もいた。最も有名なショッピングエリア・タメルも、以前の喧騒はない。

 市街地より車で30分ほど山を登り、とある村へ。ここでは既に、今回持参した支援金を担保に、スクンダをはじめカトマンズ市内6つのライオンズクラブが協働しての支援が行き渡っていた。人々が暮らす仮設テント、最低限の電気設備、そして飲食物。崩れた家屋を案内してもらっていると、子どもたちの姿も。自宅が崩れ、親を喪った子どもも多くいたが、彼らは明るく振る舞って私を歓迎してくれた。ひどく純粋なその瞳に心が痛んだ。
 市内に戻り、最も有名な観光地・カスタ・マンダップへ。冒頭に記したカトマンズを象徴する寺院や、シヴァ神像は見る影をなくしていた。
 夕方、カトマンズスクンダのクラブ事務所へ赴き、MIAAからの第一次支援金を寄贈。今後ともに私たちは主に日本国内にて支援を継続することを誓い、スクンダメンバーもますます被災者のために、その原資を最大限に生かしてご尽力頂けることを約束した。
 まだまだ余震も続き、落ち着きを取り戻せない現地であるため、私が宿泊をすることで被災者に迷惑がかけるわけにはいかず、夜の便で離国。日帰りでのカトマンズ紀行とした。

 結びとなるが、この震災はネパールにとって今まさに進めていた今後の発展に、大きな大きな障害となることは間違いない。彼らは私たちの支援を必要としている。
 どうかみなさま、ネパールに心をお寄せ下さい。
 あの東日本大震災の時、彼らが私たちに心を寄せて頂けたごとく。